旅券闘争

 実行委員会は、「50名を選衡することは不可能」「代表はすでに一切の費用を納入し、休暇までとって準備している」と述べて外務省の方針を「全面的に拒否」します(『友好祭ニュース』第5号)。6月22日の再交渉でも外務省が方針を変えないと、「あくまで全員五百名の渡航実現のため」、24日に渡航交渉本部を設置して全面的な対決姿勢を打ち出します(『友好祭ニュース』第6号)。いわゆる「旅券闘争」のはじまりです。

 外務省への陳情が連日のように行われます。社会党や自民党の国会議員と懇談して協力を要請したほか、東京や関東の代表に声を掛けて関係各省への陳情や交渉団も組織しました。

 全国の代表500人は急遽全員が東京に呼び集められ、7月5日に日本代表団の結団式が開かれます。会場の芝公会堂に集まった代表は、午前中の結団式を終えると、午後は外務省に向かい、正門前で気勢を上げました。その様子を朝日新聞の記事(7月6日朝刊)は「同じ共産圏へ行きたいというのでも、労組代表などの場合と違って赤旗はほとんどなく、「ソーラン節」などで和やかな気勢をあげ、出動した警官隊も手持ぶさたの格好だった」と伝えています。

 代表団は、ソ連が手配した船で7月16日に新潟港を発ち、ナホトカからシベリア鉄道に乗ってモスクワに向かうことになっていました。出発日が刻一刻と迫る中、「旅券闘争」は次第に激しくなってゆきます。その様子を、外務省の開示文書は、こう記しています(「文献資料」の「外務省の開示文書、開示請求番号2015-00464:1」参照」)。

外務省前で踊って気勢を上げる代表500人
(1957年7月5日)〔提供:朝日新聞〕

 出発期日が切迫するに及び代表らの態度は益々尖鋭化し、連日多数の代表をくり出し、何回となく局長、次官、大臣らへ波状攻撃を行いかつ参加希望者数百名も集団会見を申し込み、警察官に制止されるたびに当省門前に座り込み先述を行いさらに社会党議員を動かし外務大臣へ直接陳情を試みさせるなど収拾の見とおしが立たなくなった

「旅券闘争」は全国に波及し、党派を超えて広がっていきました。毎日新聞7月10日付夕刊によると、

……友好祭実行委では参加各団体を動員して、ここ三週間にわたって、手を変え品を変えて外務当局に波状陳情を行っている。

……”旅券よこせ”戦術は全国的に拡大されたかたちで、外務省の大野次官、内田移住局長の机上には、毎日陳情の手紙が全国から郵送されてくる。しかもこれまでの旅券獲得紛争は、政府と左翼団体などの間に多かったのが、こんどは代表団に自民党系の地方議員などが参加しているので、保守系の知事や市長、自民党支部長、それに保守系の代議士までが義理にからまれたものか、手紙や電話で外務省に”出してやってくれ”と頼んでくるのが少なくないそうだ。

 この記事は締めくくりに、陳情に加わっていた画家の朝倉摂の言葉を載せています。

こんどの旅行は外国を知る点で絶好の機会です。純真な青年達に対し外務省の説明は全くフに落ちません。訪ソ中、赤にかぶれやしまいかと政府は心配しているようですが、わずか二週間ばかりの滞在、それに期間中は参加各国の青年男女と語りあうのだから、見聞を広げこそすれ、そんな心配は一切ご無用です。政府はもっとおおらかな気持ちで、私たちをやらしてほしい。若い人たちを反政府的に走らせないで下さい。

 もう一人、新聞の投書欄に掲載された木村和子の言葉も紹介しておきます。

 私はいま問題になっている第六回世界青年学生平和友好祭に、文化芸術部門の洋舞代表に選ばれた一人です。私達は場所がモスクワだからとか、アメリカだからとかでなく各国の青年達が党派を越えて友情を深め、芸術の交流をはかる祭典に出席できると聞き、また国際舞踊コンクールを受けられると聞き喜んで応募したわけです。すでに作曲、衣装もでき上がり、他にコンクール作品もあるので、その製作費は各自十万円を越えました。私達の手にあまるお金なので、各自のまわりの方々の大きな友情と協力でやっとでき上がったのです。  それにもかかわらず、旅券が交付されないため、出発の見通しがたちません。毎日けいこをしてもなお日が足りないのに、そのけいこも連日の旅券問題の陳情でほとんどできない状態です。私はいま洋舞の実情だけを書きましたが、すべての部門の青年代表が同じ状態で困っていると思います。どうか政府は一日も早く旅券を交付して下さい。

(東京都・フェスチバル日本代表・木村和子27)〔『読売新聞』1957年7月15日朝刊〕
山本安英ら文化人が実行委支持の声明(1957年7月9日)
 右から木村伊兵衛、桑沢洋子、山本安英、花柳寿二郎、
江口隆哉、尾崎宏次〔提供:毎日新聞〕
浅草国際劇場前での友好祭支援活動(1957年7月14日)
〔提供:朝日新聞〕

文化人の支持表明も相次ぎました。木村伊兵衛(写真家)、本郷新(彫刻家)、江口隆哉(舞踊家)、岡倉士朗(演出家)、桑沢洋子(デザイナー)らが7月6日に外務省を訪れ、内田移住局長に参加の意義を説いたと朝日新聞7月6日夕刊が伝えています。いずれも門下生が代表に選ばれている人たちです。また毎日新聞7月12日夕刊によれば、同日午前11時に銀座宝来ビルに千田是也(演出家)、本郷新、木下順二(劇作家)、山本安英(俳優)、木村伊兵衛、花柳寿二郎(日本舞踊)、中野重治(小説家・詩人)らが集まり、旅券交渉のいきさつを聞いた後、「日本文化の紹介にまたとない機会だから早く旅券を出して16日の新潟出港に間に合うよう出発させてもらいたい」との声明を発表しています。

 文化代表は、陳情一本槍の労働組合や学生運動とは違って、世論喚起をねらって、一味違った活動を展開しています。まず7月9日に東京駅前でオープンカーのパレードを実施しました。ソ連側が撮影した記録映像で確認すると、その華やかな様子は、後方の「500名全員に旅券を」の横断幕がなければ、抗議デモには到底見えません。ギター代表の鈴木巌氏によると、新橋駅前でコンサートを行ったこともあるそうです。バレエ舞踊、人形劇が出演したといいます(「労働組合がデモをするのとは、ちょっと違った雰囲気。きれいな和服を着た若い女性がいてね」)。また7月14日に浅草の国際劇場前で行った署名運動は、作家の檀一雄や松竹歌劇団の踊り子たちの応援を得て、サイン入りの色紙や日傘を売って資金カンパを呼びかけ、大いに盛り上がりました。

 こうした出来事がジャーナリズムを賑わし、旅券闘争は社会の耳目を集める大きな政治問題へと発展してゆきます。