回想
ベネディクト・アンダーソン
『ヤシガラ椀の外へ』
NTT出版、2009年、39~40ページ。
ガルシア=マルケス
『ガルシア=マルケス「東欧」を行く』
新潮社、2018年、107~163ページ。
Ольга Юркина
Леонар Джанадда: Человек-оркестр
Наша Газета (Швейцарские новости на русском). 09.12.2009
Лида Камень
1957 год: Международный Фестиваль молодежи и студентов.
Дора Борисовна Кустанович-Подольская и другие. Документальная повесть.
Семичастный, Владимир Ефимович
Беспокойное сердце.
М.: Вагриус. 2002. С. 67-69.
相場正三久(朝日新聞モスクワ特派員)
連載「シベリアの旅」(全六回:すべて『朝日新聞』朝刊掲載)
1957年8月5日:まるで”人種展覧会” モスクワ 青年友好祭にわく
1957年8月6日:交通・文化の中心地 ハバロフスク 日本への関心大
1957年8月7日:人家まばらな原野 ハバロフスクからチタへ やがて建設の音
1957年8月8日:宝庫を開く基地 カルムイスカヤ ウランウデ モンゴル人の街
1957年8月9日:バイカル沿いに数時間 「発電」で付近に新しい都市
1957年8月10日:処女地開拓の女性も 駅々で接する近代都市
赤松宏一
「小麦色のソビエト娘」
『日本とソビエト』1957年8月15日号、第3面。
「世界青年スポーツ大会に参加して 東、野坂両氏に聞く」
『毎日新聞』1957年8月29日朝刊、第7面。
網岡弘
「モスクワ訪問記――世界青年学生平和友好祭に参加して」
『広島教育』第82号(1957年11月)、76~81ページ。
池田龍雄
「ぼくはモスクワに行けなかった」
『現代詩』1957年10月号、84~91ページ。
石澤二郎
「石沢選手(レスリング)のモスクワ便り:実に多い警官、軍人 買物するには三度行列」
『新潟日報』1957年8月17日
昭和35年 異国で聴いた「君が代」に感激いっぱい:忘れられない世界青年友好スポーツ大会での優勝
明大レスリング部のあゆみ
井上頼豊
「モスクワのうたごえ」
八木下弘『ソビエト民衆の表情』三笠書房(1957年12月)、12~15ページ。
薄井憲二
「昔の捕虜・今は国賓」
『文藝春秋』1957年10月号、281~285ページ。
「さよなら、アンドレ」
『井上バレエ団 2009年12月公演プログラム』18~19ページ。
「薄井憲二聞き書き 4:北朝鮮、ソ連……東側との交流」
『日本近代演劇デジタル・オーラル・ヒストリー・アーカイヴ』
半谷史郎「バレエ評論家・薄井憲二のソ連体験–シベリア抑留とモスクワ平和友好祭の思い出(上)」
『愛知県立大学外国語学部紀要(地域研究:国際学編)』 第51号(2019年3月)、277~301ページ。
半谷史郎「バレエ評論家・薄井憲二のソ連体験–シベリア抑留とモスクワ平和友好祭の思い出(中)」
愛知県立大学外国語学部紀要(地域研究:国際学編) 第52号(2020年3月)、275~301ページ。
半谷史郎「バレエ評論家・薄井憲二のソ連体験–シベリア抑留とモスクワ平和友好祭の思い出(下)」
『愛知県立大学外国語学部紀要(地域研究:国際学編)』第54号(2022年3月)、249~273ページ。
小川義男
「ペリカン君の思い出」
『気品のある生き方』(中経文庫、2006年)、215~220ページ。
「戦後教育のシーラカンスと呼ばれて」
『生涯現役の知的生活術』育鵬社、2012年、195~214ページ。
「美しく老いるために」
『弘道』第1091号(2014年7~8月号)、14~16ページ。
「ペリカン君の想い出(1)」
狭山ヶ丘高等学校・付属中学校HP、2017年10月3日
「ペリカン君の想い出(2)」
狭山ヶ丘高等学校・付属中学校HP、2017年10月4日
「ペリカン君の想い出(3)」
狭山ヶ丘高等学校・付属中学校HP、2017年10月5日
「ペリカン君の想い出(4)最終回」
狭山ヶ丘高等学校・付属中学校HP、2017年10月6日
フルシチョフさんにご馳走になった貴腐ワイン(1)
狭山ヶ丘高等学校・付属中学校HP、2018年7月28日
フルシチョフさんにご馳走になった貴腐ワイン(2)
狭山ヶ丘高等学校・付属中学校HP、2018年7月29日
フルシチョフさんにご馳走になった貴腐ワイン(3)
狭山ヶ丘高等学校・付属中学校HP、2018年7月30日
フルシチョフさんにご馳走になった貴腐ワイン(4)
狭山ヶ丘高等学校・付属中学校HP、2018年7月31日
フルシチョフさんにご馳走になった貴腐ワイン(5)
狭山ヶ丘高等学校・付属中学校HP、2018年07月31日
フルシチョフさんにご馳走になった貴腐ワイン(6)
狭山ヶ丘高等学校・付属中学校HP、2018年8月1日
樺山武三
「モスクワ祭典について」
八木下弘『ソビエト民衆の表情』三笠書房(1957年12月)、7~9ページ。
鴨川孝司
「ソヴェットの印刷事情」
『月刊印刷時報』1957年11月号、44〜45ページ。
河崎保
オーラルヒストリー河崎保氏に聞く①
オーラルヒストリー河崎保氏に聞く②
オーラルヒストリー河崎保氏に聞く③
川尻泰司
「あいたいひと・ききたいこと」
『学校劇』1957年11月号、65〜67ページ。
「プー吉、海を渡る」
『現代人形劇創造の半世紀 : 人形劇団プーク55年の歩み』未來社、1984年、174~179ページ。
川村秀
「日の丸に誇り」
『日本とソビエト』1957年8月15日号、第3面。
「八月六日夜のモスクワ」
『日本とソビエト』1957年9月5日号、第4面。
「”わしは戦争はいやぢゃ” 日本海海戦生き残りの水兵さん 友好祭代表団をひよっくり訪問」
『日本とソビエト』1957年9月15日号、第4面。
菊地悌子
「モスクワでの演奏会」
『宮城会会報』第45号?(発行年月日不明)、31~32ページ。
「現代邦楽とともに(五)世界青年平和友好祭に参加して」
『音楽の世界』2000年5月号、13~17ページ。
北原篁山、後藤すみ子、土橋明、菊地悌子
第六回世界学生青年友好祭に臨んで
『邦楽の友』1957年10月号、54~59ページ。
久野公
私とロシア人:素朴な人なつこさ―庶民の中に共通の感じ―
『日本とソビエト』1958年6月25日号、3面
河野昭
「第三回世界青年友好スポーツ大会に参加して」
『新体育』1957年10月号、74〜75ページ。
古賀伸一
「ロシア語即興劇―第六回世界青年学生平和友好祭に参加して」
古賀さき子『一幕の夢:人形劇俳優古賀伸一の愛と死』田畑書店、1984年、204~208ページ。
「鈴木巌氏のこと」
古賀さき子『一幕の夢:人形劇俳優古賀伸一の愛と死』田畑書店、1984年、209~211ページ。
後藤すみ子
「ソ連という国へ」
『宮城会会報』第45号?(発行年月日不明)、28~29ページ。
「いきいき人生: 輝きつづける円熟の至芸 箏奏者 後藤すみ子さん」
『シニア倶楽部』第20号(2015年9月20日発行)、8~13ページ。
小西政一
「”ソビエトの足”見聞記 警笛を鳴らさないタクシー モスクワ河に浮かぶ流線型遊覧船」
『日本とソビエト』1957年9月15日号、第4面。
「ソ連の国民生活みたまま」
『実業の世界』第54巻第11号(1957年11月)、92~93ページ。
小林進
「フェスティヴァル始末記」
『テアトロ』1957年10月号、31〜41ページ。
杉山金夫
『モスクワ見たまま 第六回世界青年学生平和友好祭に参加して』
第七回世界青年学生平和友好祭静岡県実行委員会、1959年。
鈴木巌
「いきいき人生:国際ギターコンクール金賞受賞 世界中で公演を続けるギター奏者 鈴木巌さん」
『シニア倶楽部世田谷版』第15号(2013年3月31日発行)、8~13ページ。
高木四郎
「冷戦のはざまで 今だから書けること」
高木四郎(編)『ハルビンツィ:哈爾浜学院二四期会文集』No. 2(1996年)、52~57ページ。
高田せい子
「モスクワ、見たまま―第六回世界青年・学生平和友好祭―」
『現代舞踊』第5巻第9号(1957年9月)、6~7ページ。
田沼武能、八木下弘
「第6回世界青年学生友好祭に出席して」
『日本カメラ』1957年10月号、207~209ページ。
田沼武能
「ファインダーからみたソヴェトの美術」
『美術手帖』1958年1月号、104ページ。
「MOSCOW 唖の旅」
『洋酒天国』第26号(1958年6月)、10~15ページ
「りんご記念日応援団田沼武能さん」
『メルマガ「わやわや」』(公益財団法人国際文化フォーラム)、2015年6月17日
塚脇伸作
「第三回世界青年友好スポーツ大会に参加して」
『学校体育』1957年10月号、14~17ページ。
土橋明子
「国際コンクールにのぞんで」
『宮城会会報』第45号?(発行年月日不明)、30~31ページ。
富沢幸男
「四十五日の旅:第六回世界青年学生平和友好祭より帰って」
『教育映画作家協会会報』第29号(1957年9月25日)、12~16ページ〔『記録映画作家協会会報 復刻版 第1巻』(不二出版、2017年)414~418ページ〕
長崎眞人
『命ある限り』
光陽出版社、2007年
半谷史郎「1957年モスクワ平和友好祭–ある日本人参加者の思い出(上)」
『愛知県立大学大学院国際文化研究科論集』第18号(2017年3月)、291~312ページ。
半谷史郎「1957年モスクワ平和友好祭–ある日本人参加者の思い出(下)」
『愛知県立大学大学院国際文化研究科論集』第19号(2018年3月)、267~288ページ。
中野淳
「クレムリンの赤い月:美術代表 モスクワ・平和友好祭へゆく」
『美術手帖』1957年11月号、81〜85ページ。
日本青年団協議会
『青年学生平和友好祭報告書』
日本青年団協議会、1957年
八田一朗
「”赤い女性”のワキ毛」
『週刊娯楽よみうり』1957年9月20日号、34〜35ページ。
日高赳
「世界青年学生友好祭に参加して」
『日向市広報』1957年9月号、2ページ。
日野三郎
「文化はおれたちの力でという確認」
『国鉄文化』1957年9月号、16~19ページ。
芙二三枝子、佐藤祐子、木村和子、石井かほる 薄井憲二、江崎司、三上彌太郎、工藤昇三 美咲安里、甲斐ひかり、黒岩延浩
「座談会 第6回〈世界青年・学生平和友好祭〉を語る」
『現代舞踊』第5巻第9号(1957年9月)、8~16ページ。
芙二三枝子
「私達はこんな風に迎えられた」
『新婦人』1957年11月号、26〜27ページ。
「モスクワの世界青年学生友好祭」
小林紀子、芙二三枝子、花柳千代『踊りに生きる : 三人三踊』大月書店、1987年、103~104ページ。
「からだとこころ 舞踊人生交遊録(9)感動を共有する心友」
『音楽の世界』1995年7月号、15〜20ページ。
八木下弘
「私の見たソビエト」
八木下弘『ソビエト民衆の表情』三笠書房(1957年12月)、1~6ページ。
安井侑子
「友だち」
八木下弘『ソビエト民衆の表情』三笠書房(1957年12月)、10~11ページ。
吉田実
「ソビエトの建築」
『広島教育』第82号(1957年11月)、66~67ページ。
吉沢秀雄
「モスクワのフェスチバル参加を前にして」
『東京写真研究会会報』1957年4、5、6月号、31~32ページ。
渡辺浩子
「異文化にふれる」
『悲劇喜劇』1985年7月号、20〜21ページ。
中川美登利「こんな人・あんな話 渡辺浩子」
『テアトロ』1990年11月号、90〜93ページ。
『わたしのルネッサンス:渡辺浩子遺稿集』
カモミール社、2000年、48~60ページ。
週刊誌の記事
「モスクワ友好祭渡航劇始末記」
『週刊新潮』第30号(1957年)、62~63ページ。
「貧しき百五十人の旅行者」
『週刊新潮』第38号(1957年)、34~37ページ。