古角松夫(1923~2004)
パルナス製菓社長
1952年設立のパルナス製菓は、関西でピロシキやケーキを製造・販売していた会社です。「モスクワの味」がキャッチコピーで、高度成長期にはテレビ・コマーシャルを通じて事業を拡大し、兵庫や大阪を中心に200を超える店舗を展開。ロシア料理店も経営し、1970年の大阪万博ではソ連館のレストラン「モスクワ」の運営を担当しています。
世情の変化にともない1990年代から事業を整理縮小し、2000年に事業停止、2002年に廃業しました。しかしその後もコマーシャル・ソングのCD発売(2007年)や回顧展の開催(2017年~)など、関西では根強い人気があります。
パルナス製菓が謳う「モスクワの味」は伊達ではありません。モスクワのボリシェヴィク製菓工場の職長エヴドキヤ・オージナ(1918~2006)から技術指導を受けているからです。オージナは、ソ連の首脳や外国の賓客に供する最高級品を手がける菓子職人で、1971年には社会主義労働英雄の勲章を贈られています。パルナスへの技術指導で二度来日し、「パルナスの母」と慕われました。古角氏との文通は約40年もつづいていて、手紙の束がパルナスゆかりの品々を保管する兵庫県加西市で最近みつかっています。
パルナスを懐かしみ紹介する記事は多いですが(上にもそうしたリンクを貼っておきました)、古角氏の1957年の初めての訪ソが平和友好祭の参加だったことを指摘するものはありません。
友好祭の全体プログラムを見ると、8月4日から6日にかけて「食品製造業青年労働者の集い」が催されていて、4日と5日が農業博覧会のコルホーズ文化会館(日本代表の宿舎オスタンキノ・ホテルのほど近く)での会合、6日が工場見学となっています。おそらく古角氏とオージナはここで知り合い、意気投合したのでしょう。
友好祭の経験がその後の人生を決めた人は何人もいますが、古角氏ほどモスクワでの出会いを長く深く保っていた人はいません。いつの日にかロシア語資料を渉猟して、二人の交流の全体像を描いてみたいと思っています。